隣村の村はずれに、お地蔵様がある。そこの壁には(この前まで)、
一枚の板がかかっており、墨で次のようなことが書かかれていた。


しあわせをさがして ひんがしにいった
しあわせは ひんがしにはあらず
きたにいった
しかし きたにはあらず
にしにいったが にしにもあらず
みんなみにいった
しあわせは みんなみにあり
しあわせは みんな みにあり



はじめてその板に気づいたのは、小学生の頃だったか、中学生になっていたのかは もう忘れてしまった。しかし、それから30数年がたってしまった。
でもその時、メーテルリンクの『青い鳥』と似ていると思った。自分自"身"の中に 幸せがある、というのと、"自分の家"の中にある、との違いはあるのだが…。



(いうまでもなく)『青い鳥』は、幸福は、どこか遠くにあるものではなく、自分たちの 日常生活の中にあるのだという物語。その中でメーテルリンクは繰り返し述べている。
「美しいものは、いつもすぐ側にあるのだが、人はそれに気づいてはいない…」と。

しかし今日、久しぶりにお地蔵様にいってみたら、その板はなくなっていた。この前まで かすれた文字になってはいたが、そこにあったのだが……。



うちの傍らにある“お念仏様”。年に何回か、村のお母さん方が集まってお念仏をあげる。
最近、集まったばかりなので、卒塔婆や花が新しい。そして、遠くに見えるのが「隣村」。


40数年前の“お念仏様”

(2001.6.30)