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70年前の中華そば
鶴岡 後藤食堂

酒田中華は昔懐かしい中華そばの味、と良く言われる。ホントだろうか、実は70年前から作り方と味を変えていない店が鶴岡には有る、鶴岡の本町にある後藤食堂である。店は一代目が現役で作っているが、娘さんが二代目として切り盛りしていた、店には固定のテープルと椅子が昔の日本人の体型に合わせて作られている、氷室がテレビの下に鎮座していた、麺は中細、白くストレートに近い、色の濃いスープにもも肉のチャーシューが乗っていた、麺を一口たべて「あれー」と声が出てしまった。饂飩を食べて居る感じなのだ、言っておくが決してまずいわけでは無い、昆布と煮干しの利いたスープは確かに中華そばなのだが麺をすする感じがラーメンの感じがしない、見た限りでは誰もがラーメンと言うだろうが、誰かを目隠ししてこれを肉饂飩だとして食べさせたらきっと間違うだろう。しかしチャーシュー・メンマ・ナルトを食べて行く内、私にこの一杯は懐かしい憧憬を、思い浮かびださせてくれた、それは幼稚園の時インスタントラーメンが出たての頃、婆ちゃんが作り方が分からないくて、饂飩の汁を作ってラーメンを作った時の事を思い出したのだった、その時はそこそこ旨かったが饂飩を食べている方に感じは近かった記憶がある。娘さんにお話を伺った、麺が独特で上質な饂飩に感じたと言うと、内では麺に殆どカンスイを使わないで作っている事、70年間味を変えていない事の中には現在の中華そばは、鶴岡のお年寄りにはくどすぎるので内に食べに来ると言うことだった。固定客に支えられた店、カンスイを使わない饂飩のような麺、ベクトルは体に良い中華そばとは一体なんぞや?。

庄内の蕎麦文化
笹川食堂 肉うどん

前々から庄内の蕎麦の文化について食べ歩きをしてみて面白い事に気づいていた、それは、ザル蕎麦の美味しい店を探した時だった。「庄内は饂飩文化圏」「内陸は蕎麦文化圏」こういう事を良く耳にするのだ、庄内の饂飩で有名な店とは「三川の茂一」、「大山の、半兵衛」である、いずれも麦切りで有名な店で有り「庄内には麦切り有り」と歌うだけの美味しさが有る。麦切り以外ではと思い温かい饂飩で美味しい所を探してみた、すると庄内には二件有る、「櫛引町の上鉢」と「羽黒町の笹川食堂」だった、「上鉢」は3年前に辞めたそうでなんとも残念、笹川食堂の肉饂飩をたべた、見た目のボリュームに感動し腰のある饂飩を口の中にほおばると昆布の香りがした、なにより驚いたのは汁の色の濃さで、しょっぱくて食べられないかと思ったのだが、以外にしょっぱく無い事だった、庄内の饂飩の特徴は濃い口醤油にあった。正直な話、私の場合「内陸は蕎麦文化」「庄内は中華そば文化」が正解だと思った。 饂飩と中華そばの麺の違いは小麦粉に「カンスイ」が入るか入らぬか、酒田中華の生い立ちを調べ、今まで中国人や近隣の町に答えがないかと歩き回ったがやはり、現場である酒田中華のテーブルの上に戻った。酒田中華は澄んだスープで鶴岡中華は甘めの濃い口醤油の色の濃いスープ、では酒田中華の醤油はどうして居るのか・・面白い事に気が付く、それはラーメン屋さんの看板にハナブサ醤油使用、マルジュウ醤油使用、などと書いてあった事なのだ。鶴岡でも看板に醤油メーカーの名前が看板に書いて有る、ではどうして同じメーカーの醤油を使ってスープの色がこれだけ違うのか、その答えは醤油が一種類では無いと言う事だった。これはテレビの受け売りなのだが醤油にはこいくち・ちゅうくち・うすくち・そして旨口が有る、酒田中華の醤油は薄口だから澄んだ色、鶴岡は濃い口醤油だから濃い色と勘ぐって暖簾を覗いていると、分かった事は酒田中華の場合、濃い口醤油と旨口醤油とのブレンドなのだ。旨口醤油とは一体なんだろう、別名、新味醤油とも言う、新味醤油とは味付き醤油なのであり鰹や昆布の出汁が合わさった醤油の事である。それぞれの醤油メーカーが競いプロの味を出している処でもある、酒田中華のシンプルな中に醤の香り豊かな訳、煮干しだけで鰹に勝る味にはこんな秘密が隠されているのだ。


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