【概 要】 イタリアのべローナ県の県都べローナ市はアルプス山脈の南麓、ローマから北北西 510kmに位置し、人 口26万人の都市である。ブレンナー峠越えのローマ からの南北路とミラノ〜トリエステの東西路の交わ る交通の要所として、商業と観光を中心に、精糖、 肥料、紡績等の製造業により発展してきた。 ベローナは古代ローマの植民地にはじまり、1164年 には自治都市となっている。市内には、古代ローマ 時代の円形劇場(アレーナ:Arena)がほぼ完全な形 で残っているほか、9〜12世紀の中世ヨーロッパの ゴシック式教会、ロマネスク式大聖堂、市庁舎等の 歴史的建物が数多く残っている。また、シェイクス ピアの悲劇、「ロミオとジュリニット」はこの地の実 話に取財したもので、ロミオの家やジュリニットの 家、墓等が残っており、観光名所ともなっている。 べローナ市では特に文化振興にカを入れているが、 特に毎年夏に開催されるローマ時代の円形劇場(ア レーナ)を会場とした屋外オペラ、『べローナ国際音 楽祭』はその規模、質の高さにおいて国際的な評価 を得ており、全ヨーロッパ、そして日本からも多く のファンが訪れている。□ |
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【要 旨】 古代ローマ時代の円形劇場(コロシアム)はローマのものが有名だが、べローナ市にも同時代、同規模のものが残っている。しかも、ローマのものより保存状態が良いということで、当時の面影をより保っているといえる。巨大な石積みの建造物で、二千年近い歴史の中で風化が進みつつも、地元では“アレーナ”と呼ばれ、文化遺産として保存にもカが注がれている。そして驚くことにこの「アレーナ」は、世界水準の『オペラ会場』として今でも利用されている。 □ |
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□ | 「アレーナ」は、べローナ市の所有であるが、その使用はイタリア政府の許可を得る必要がある。そして、傷みを避けるため雨の多い冬の期間は使用が制限されているが、夏の6月〜8月に限り「べローナ国際音楽祭」としてオペラが上演されている。訪問当日(10/17)には、仮設舞台や座席等の撤去作業中であったが、天井が無いことやアレーナの大きさ(2万5千人収容)からは想像ができない程の素晴らしい音響効果に驚かされた。その昔、ローマ時代の人たちの喚声が「アレーナ」一杯に響き渡ったであろうことが、容易に想像することができた、と同時に、オペラ会場としても非常に優れている旋設、ということも理解できた。 |
この「アレーナ」のオペラは、マリア・カラスがデビューしたのをはじめ、世界的なオペラ歌手により上演され、1989年と1991年には日本公演も行なわれている。さらに、今年そして来年のオペラには、(一流の証明でもある)フランシス・ドミンゴが出演するなど、年々その芸術性の高さから、世界各国から多くの人がべローナ市を訪れ、国際交流の場とて「アレーナ」は重要な役割を果たしている。この音楽祭(オペラ)は、べローナ市の直営事業として行なわれ、専門スタッフや市専属のオーケストラなどが運営に当たっている。 □ |
そして既に1996年までの日程も決定されている。『アレーナ1996』のプログラムを見るとマクべス、カルメン、アイーダなど6種類のオペラが45回にわたり週末を中心に日替わりで上演される。また、来年の公演は日本を含めパンフレットを送付済みで人員計画も完了している等、準備は早い段楷から綿密に進められている印象を受けた。 チケットは中間代理店を置かず、VISAやJCBなどのカードでダイレクトに購入でき、座席指定席でも1万円から2万円弱、指定無しの(本来の)観覧席部分では1,800円から2,700円と安い料金設定であることから、ここ数年、日本からのお客も増え、経営的にも良好とのことであった。 |
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「アレーナ」内部 | 「アレーナ」への入口 | 「アレーナ」仮設舞台等の撤去作業中 |
夏のシーズン以外にも、同じくローマ時代の建物『テアトル・ロマーノ』(訳せば「ローマ劇場」) 等でオペラをはじめ、バレエ、交響曲、演劇と幅広い文化活動が行なわれている。その他、市立美術館の運営等にも、それぞれのスペシャリストがスタッフとして配置され運営 |
に当たっている。べローナ市では、「文化の発展には、お金が必要」という基本認識で、「財政的援助は惜しまず、見返りは求めない」という方針が貫かれているとのことであった。 また市立美術館は、他の主要都市のものに比較すれば規模こそ小さいが、かつてその美しさからナポレオンT世遠征の折に宿舎とされた建物で、ナポレオンが割った「大鏡」や当時の風呂場等も残され、天井のフレスコ画等を含め保存整備されている。さらに地下室には、増築工事の際に出てきたというローマ時代の『石畳の遺跡』も残され、「遺跡」の上に「遺跡」が載っているような美術館といった印象であった。 |
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市内を流れるアディジェ川に、補修の痕が残る石橋が架かっている。橋は『ポンテ・ピエトラ』(ピエトラ橋)と呼ばれ、(同じく)ローマ帝国時代に造られたものであるが、第二次大戦中(1945年)に爆撃を受け、一度破壊されている。しかし、それを知ったべローナ市民が集り、爆破された橋のカケラを川から一つずつ拾い集め、復元したものが今の姿だという。そしてどうしても見つからなかった部分が、材料の違いから白く見えているという話だった。 □ |
市内を流れるアディジェ川。遠く、サン・ピエトロの丘。 |
『ポンテ・ピエトラ』。“高い塔”は、旧市庁舎。 |
べローナ市が『リトル・ローマ』と呼ばれた時代から、二千年。激動のヨーロッパ史の中で脈々と受け縦がれ、培われたものは自分たちの「歴史」と「文化」に対する意識の高さ、そしてそれを守り伝えて行くという伝統だったのかもしれない。父そして祖父、曾祖父と何代も、何代遡っても今と同じ風景を見ていたという、日本人からは想像することができない『時』の流れがあるのを考えると、少し、気が遠くなる思いがする。 |
【感想及び所感】 東南アジアや中国等の農村風景をテレビで見ることがある。その姿はまさしく、30年程前の日本の姿でもある。そして、今の日本には科学文明の「成果」による、便利で快適な生活がある。しかし、この(たった)30年間に到達した距離の果てしなさと、『科学文明』の成り立ちを考えたときに、非常な危惧を憶えるのは私だけであろうか。 現在の、再生不可能なエネルギーと、処分(処理)不可能な廃棄物に支えられた「文明」は、長い日で見れば間違いなく滅亡する。現代文明は、エネルギー収支と物質収支を(ある程度の期間内で)プラス・マイナス“ゼロ”とする、新『技術』か生活スタイルを手に入れることが出来るのであろうか。数百年ではなく数十年後に、現在の「文化」を伝えるために。 □ |
サン・ピエトロの丘に建つ「サン・ジョバンニ・イン・ヴァッレ教会」 |
(1994.10.17.Mon. 9:30〜14:00) |
(2001.8.8)
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