はじめに




今となっては‘昔’の話となってしまったが、2000年の7月に(独立記念日を挟んで)一週間ほどオハイオ州のマリオン(Marion)という町に滞在した。オハイオ州は、合衆国のかなり東より、北に(五大湖の)エリー湖に接し、南はケンタッキー州、そしてニューヨーク の西約500kmに位置している。州都はコロンバス(Columbus)、人口63万人あまりの都市であるが 、マリオンは、そこから50kmほど北の町である。
1999.5.30(Sun)   AbbyのAbe家最後の日、外食。
2000.6.10(Sat)   Amyと、月山で夏スキー。


アメリカに行くこととなった‘いきさつ’は、ふたつある。ひとつは、前の年(1999年)の12月、(実は) KosyuとTazukoは「結婚20周年!」を迎えたのだが、私は何か記念にと‘指輪’でも買ってやろうとした。しかし、Tazukoは「物より思い出」と、『アメリカに行こう。』と言い出したのである。(←だからといって、Tazukoが‘キラキラ系’に興味がない、ということではない。…断じて。)

もうひとつのきっかけは、1999年の5月22日(土)から30日までの9日間、Kosyu家に(アメリカからの)ホームステイを受け入れしたのである。これは、酒田市の「ミニALT」(Assistant Language Teacher)のプログラムで6週間、オハイオ州のウェズリアン大学:Ohio Wesleyan Unversityの学生5名が、市内の中学校で英語の指導をしてくれたのである。うちに泊まったのは、アビイ(Abby)さんという、心やさしい、そしてしっかりした(素敵な)女性だった。このプログラムに参加する学生の選抜には、大学で何日もかけて面接などを行い、大変だった、と(後にAbbyが)話していた。

で、Abbyから、『アメリカにも遊びに来てね。』と誘われてもいたのだが、(なんとまあ)図々しく、(それも夫婦で!)出かけることにしたのである。また、2000年にも(今度は)3週間、同じくエイミイ(Amy)さんのホームステイを受け入れしたのだが、Amyの帰国とほぼ同じ頃に、私たちもアメリカに向うこととなった。(でも決して、そんな‘下心’があって、受け入れしたのではありませんのでね、念のため。)

大体が、Tazukoは‘アメリカ派’で、「ジョン・デンバー」の大ファン(←古い!)だったのをはじめ、もう30年!も昔、(若い、独身の)頃、単身アメリカに渡り、シアトルでホームステイをした経験があったり、最近になってもハワイや(アメリカではないけれど)シンガポールなど、何度も(何度も…)旅行に行っている。(Kosyuは、これまで‘つれていって’もらったことはなかったけれど、)歴史と伝統、文化に興味があって、どちらかというと、ヨーロッパ志向が強かった。でも、Kosyuひとりなら、まるで行く気にもならなかった(←というより、行けない…、^_^;)のだが、色々な日程の設定やら、諸々の準備も…すっかりTazukoがやってくれて、7月1日からおよそ一週間の予定で、(見ず知らずの)Simpson家に向け、旅立つこととなった。

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