クリーブランド




2000年7月5日(水曜日)、晴れ。この日は早朝に、(Marionから約180kmの)クリーブランド:Cleveland市に向けて、Abbyと出かけた。 クーブランドの手前、約20Kmの所にあるメダイナ:Medina市は、(この年)3週間、Kosyu家でホームステイをしたエイミイ:Amyの家がある。 Amyは、Abbyのウェズリアン大学の同級生で、そして友達でもある。お父さんはデイブ・ザンダース:Dave Zanders。クリーブランドで弁護士をしている。おかあさんは、リンダ:Linda。養護学校の先生である。そして弟のマーク:Mark。(Lauraと同じ学年で)アリゾナ大学に入学予定だった。陸上の選手で、大学もその関係らしかった。
陽もまだ、上がりきらない頃、出発
山はないけど、木は多い。ずっと、こんな風景が続く。
Abbyの運転で、高速道路に出る。オハイオは、山がなく平野が広がっている。そして、日本の道路は、‘田畑よりも高く’なっているのが普通であるが、こちらは‘同じ高さ’で、(おまけに)ガードレールもついていない。だから、なお広々と感じられて、なにか‘心もとない’感じがした。日本の道路は、雨の多さとか、水田などがあるため、だいぶ高く作ってあるのかもしれない。こちらに来て、(毎日)車で移動したのだが、どこをどう走っているのか、(最後まで)見当がつかなかった。山もないし、どこも「同じ風景」に見えるのである。

何となく、「狩猟民族」の方向感覚は、「農耕民族」よりも(格段に?)いいのではないかと思った。そして、行動(思考)パターンも…(明らかに)違う。例えば(「農耕民族?」である)日本人は、農作業や病害虫への備えなど、周りの人たちと‘一緒’にまとまって、(同じことを)する場合が多いと思うが、「狩猟民族」は、「前の人が通ったルートには、‘獲物’はいない」ので、違う道を行く、という感じかな?また、広々とした芝生の庭を眺めては、「日本人?は、こんな‘空き地’があるとすぐ、畑にして‘野菜’をつくるな。」とも、(とめどなく)思った。

Abbyの車はシビックだけど、(当然)‘左ハンドル’。歩道も、なんもない。
で、道路は、(山がないから)‘野原’に一本道が延々と?続く。眠くなりそうなのだが、所々に‘仕掛け’がしてある。それは、「歌う道路」。きっと、舗装の表面(というか舗装材の粒子)が色々な大きさ(粒)に調整されていて、タイヤが通るときに、‘旋律’を奏でるようになっている、のだと思う。また、対向車の多くが(日中でも)ライトを点灯して走っている。『どうして?』とAbbyに聞いたら、『more safty』、安全性を高めるためであった。

(関係ない?けれど)オハイオには、HONDAの工場があり、Abbyの乗っている車もCIVICだった。(別の日だけれど)『(TazukoはAccordだけど)Kosyuは、おなじCIVICだ。』といったら、Steveは『車の後ろに‘記号’がついているだろう。Abbyのは‘EX’だけど、Kosyuのは何だ。‘LX’か?』などと(かなりしつこく?)聞いてきたのは、おかしかった。『日本とは、車種の構成が違うみたい。』といったのだが、Kosyuのは‘ferio’。(←意味は、わからないけど。)

2時間ほどで、メダイナ市着。LindaとAmyが迎えてくれた。こちらの家は、(どの家も)家の中も外も、きれいにしている。庭は、芝も花々もうつくしいし、部屋の中も色々なものの配置や、飾りつけも、相当の気合い?が入っている。(かたや)日本のご家庭は、部屋の中が、色々なものでごちゃごちゃ?していても、洗濯物も外に出そうが、ベランダに布団を干そうが、(あまり)気にしない 。
Amyの家の前で。
‘裏の庭’。花がとってもきれいだった。
玄関の横の、部屋。
広くはないけど、とても素敵な部屋だった。
Amy作の、ケーキ。
そして(こちらでは)、建物や庭の配置、造り方もとても‘オープン’で、しかも周囲(地域)との調和をまず考えているように思う。日本の(すこし立派な?)家は、まず‘塀’を回して敷地を囲ってしまい、 その中に庭を造ったりして、「自分の家」だけで‘完結’を目指しているような、気がする。これは、「
ロックンロール・ハウスの前。
ウイリアム(何とか)号。
民族」「歴史」「伝統」「文化」…いかなる‘バックグランド’の違いに根ざすものなのか、Kosyuの検討課題だな。(←おおげさかな?)

実は、(←と強調するほどのことではないが)例えば、「‘秋田美人’には、ヨーロッパ人種の遺伝子が入っているので、色が白くって、背も高い。」(←これは学術的な調査研究の‘成果’として、言われている。)とか、今密かに‘仮説?’を立てているのが、「縄文人」→「蝦夷(えぞ)」→「アイヌ人」の流れが‘人種的’にあるのではないか(←これは、Kosyuの‘勝手な’思いつき。)など、民族の歴史的なこまごま?とした成り立ちみたいな話に、興味があるのである。(話がわき道にそれた。)

で、Amy家では、昼食と(Amy特製の)‘ウエルカム・ケーキ’をごちそうになって、それぞれ、おいしかった。その後、クリーブランド:Clevelandに向かう。クリーブランドは、オハイオ州北東部にある工業都市。エリー湖の南岸にある重化学工業都市で、五大湖有数の港湾をもつ。しかし、1950年台には、90万人を超える人口があったが、(重工業の衰退により)現在では、50万人をいくらか超えるほどの都市となっている。またここは、大リーグのインディアンズ:Indiansのホームである。(Amyはその大ファンであっが、主力の故障などにより、地区2位に低迷?していた。)

エリー湖。ほとんど‘海’。でも、水は、‘not salty’。
シーガル、というか‘カモメ’。
アメリカンフットボールの球場。
インデアンズのホーム球場。
美女?4人。
クリーブランドでは、(エリー湖のほとりの)ロックンロール・ホール(Rock and Roll Hall of Fame)に行った。とても大きく、モダンな施設で、‘ロック’の歴史や貴重な資料が紹介されていた。Kosyuは「フォークソング」に染まった?クチだが、Tazukoは「若い頃は、さぞかし…‘ミーハー?’だったのかも…」と思わせる?、豊富な知識と深い興味をかいま見せた。ステージ衣装などは、「古着」にしか見えないKosyuには、うかがい知れない世界が広がっていた。(笑)

ひと回り見て、外に出ると、しばらくすることがない。(Amyのお父さんの)Daveがその日は仕事で、仕事が終わって‘合流’する予定なのだった。ここは港の一角で、とても広い。隣接してインディアンスの?野球場があったり、近くには、昔の大きな船が係留されていた。この船は、資料館?として公開されていた。(時間をかけて)ぐるっと見て回ったり、(ここでも)のんびりと、おしゃべりして、暇つぶし。
エリー湖につづく運河。
観光船?と、レストランが多い。
美女、3人。
しかし、こちらでは、(ジェットスキーの時もそうだったが)外ではよく「サングラス」をかける。色々と考えてみると…、青い目の外人、というが、この青い目は(黒い目よりも、実は)‘劣性遺伝’なので、(きっと、青い目は)紫外線に弱いのではないか、というのは(根拠はないがKosyuの)憶測である。(‘白い肌’も、かな?)

3〜4時間程ブラブラしてから、やっとDaveと、(Amyの弟の)Markとそのガールフレンドがやってきた。(日本では、あまりないが)ボーイフレンドやガールフレンドも一緒になって、(総出で)歓迎してくれるっていうのは、うれしいものですね。ありがとうございました。でさっそく、皆で食事に出かけた。レストランは、(とっても高架で)見晴らしのいい‘電車’で数駅、運河沿いの景色もすばらしい所だった。キリアンズ(George Killians)ビールを(2本も)飲んで、料理もおいしかった。
Dave と Linda。
Linda と Mark(とガールフレンド)。
キリアンズビールのロゴ。
こちらでは、これ。
Kosyu と Tazuko。(やはり、‘手’がおとなしい?)
でもここで、(こちらでは唯一?)‘行き違い’があった。というのは、『こちらのは、量も多いし…』などといいながら、料理を選んだのだが、いくら待っても私の分が出てこない。。(‥、)。注文をしてくれたAbbyが、聞き違えたのである。(すぐ、注文の‘し直し’をしてくれたのだが…)、『‘Japanese English’だったので、わからなかったのよ!』と家に 帰ってからも、SteveとMarilynに(かなり力を込めて)言い訳?していた。ごめんなさいね。(^_^;)

皆で、記念撮影。
別れ際、Daveは『プレゼントだ。』といって、包みを手渡してくれた。ごちそうになった上に、お土産ま でいただいて、恐縮だった。‘包みの形’から類推すると、お酒!(のよう)だったので、『I like this one!』などといい、いただいてきた。かさねがさね、ありがとうございました。

そして、日も暮れて、180kmの道のりを帰ってきた。Abbyは、長時間の運転で、どうもお疲れ様でした。しかし、Kosyuはというと…、車の中で、すっかり寝てしまった。‘イビキ’までかいて…。でもAbbyは、『私のダディも同じよ。』と、気にするTazukoに言ってくれたらしい。Abbyは…、やさしい娘さんだ。

Simpson家に帰って、Steveに‘おみやげ’の話をしたら、『どれ、見せてみろ。』とチェックを始めた。『これは見たことがない。特別なお酒なのかも知れない。』などと調べていたが、『わかった、これはリキュール:Liqueurだ。』と納得したようだった。Steveの‘こだわり’ようが、(なんか)おもしろかった。 この日も、すっかり皆様にお世話になって、一日が終わった。きょうも、いい日だった。

2000.07.05(Wes)

「
「Essay」TOPへ