帰    国




2000年7月7日(金曜日)、晴れ。早朝(6時過ぎに)コロンバス空港午前8時20分発の飛行機に乗るため、Marionを出発した。Steve、MarilynそしてAbbyが、空港まで送って、見送りをしてくれた。(大した縁もない)私たち夫婦を、暖かく迎えてくれ、そして手厚いもてなしをしてくれた「Simpson Family」と「オハイオの人たち」に、(いただいた)たくさんの思い出とともに、感謝の気持ちでいっぱいだった。
マリオン最後の、朝が来た。
玄関の前で、記念写真。
アメリカの、(どこかの)上空。
そしてKosyuとTazukoは、シカゴ(Ohare空港)を経由して、2000年7月8日(土曜日)午後1時55分、(無事に)成田空港に到着した。コロンバス空港を出発して、16時間近くが経っていた。そして成田から、シャトルバスで羽田に向かったのだが、日本も、すばらしい天気で私たちを迎えてくれた。窓から見る景色の、日本のごちゃごちゃ感?が、妙に懐かしかった。そして、空気も湿っぽい。でもやはり、住むのは日本だな、Kosyuは…。「みそ汁にご飯」は欠かせない。おまけに、『どっちでもいい…。』などといいながら‘曖昧?’に暮らせるし…。(笑)

Marilynに『日本に帰ってから「時差ぼけ(Jet lag)」は、3日も過ぎたらよくなるだろう。』といわれた。アメリカに着いたときにはほとんど感じなかったのだが、日本に帰って、(確かに)3日間くらい、頭が‘晴れ’なかった。オハイオの思い出とともに数日間、(KosyuとTazukoは)‘しんみり?’と過ごしたのである。
機内食。帰りは、ワインがおいしかった。
Kosyuは帰り、(空港の)免税店で、‘葉巻’と18年物のグレンフィディッチやら、買い込んできて、Steveのまねをしてみたのだが、アメリカンスタイル?は、長くは続かなかった。カラっとした空気(と広い庭)もやはり、必要なのだ、とあらためて思っている。したがって、ふたつの、木の箱に入った葉巻は、(あらかたそのままで)‘熟成中?’なのである。(ウイスキーは、すぐなくなってしまったが…。)(^_^;)

もう、この旅行から2年が経とうとしている。 ‘夢?’のような、一週間だった。それぞれ、2つずつ年を取り、同じように?KosyuとTazukoは、暮らしいてる。でも、『ものより、思い出』といったTazukoのことばのとおり、この旅行によって、なにか(すこし)‘こころが豊かに’なったような気がする。
羽田。すっかり、緊張感?がとれた、Tazuko。
思いっきり、タバコとサッポロ、のKosyu。

2000.07.07〜08(Fri・Sat)

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